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内容概要
玉三郎 三島由紀夫先生の本、読ませていただいたんですけれど、「鹿鳴館」なんか先生のために書いてくださったんでしょう。
杉村 ええ、やっぱり三島さんという人は、わたしにひとつの転機をつくってくださったと感謝しています。
わたし、よく新派のまねをしているといわれたんです。わたしの考えでは子供のときから芝居を観ているものだから、芝居というものはカスカスしたものじゃなくて、舞台全体が潤いとか色気とか、いろんな艶がなくちゃいけないと思うの。どんな芝居でも艶があってもいいと思うんだけれど、新劇というのは砂塵の吹く風の中でやっているみたいな気がするんですよ。カスカスね。いろんなはきちがえがあるかもしれませんけれど、真実そのままやるのがリアリズムの芝居ではないと思うんです。だけどそういうことがはやった時分は、汚ないことは汚ないまま、ドタドタするところはドタドタのまま。これがわたしはたまらなかったんです。わたしは、やっぱり芝居は観て美しくそれで楽しくて、ひとつの役が形だけではなく舞台に生きられるようにするにはどうしたらいいかと考えるんです
(一部省略)
三島さんの「鹿鳴館」をやったときああいう古典劇みたいな創作劇というのはやったことがない。どうしていいのかわからないの。それで「誰がなんといったっていい、きみ、新派的だといわれていいから、きみが思う存分の大芝居をしたまえ」と三島さんにいわれたの。そこでわたし、大芝居をやっちゃったんですよ(笑)。そしたら誰も新派だといわなかったの。これは観て楽しむ、観せる芝居ね。また実にうまくできるんですよ。
玉三郎 ほんとによくできてますね。
杉村 パーンとピストルが鳴って、ハッと思うときにダンスの曲が鳴り出す。そういう間だとか、それは大芝居しなければ収まらないんです。びっくりするのでもパッとしなければならない。せりふも正面きってうたいあげなければならない、泣くのだって大げさにハンカチもって泣きあげなくちゃならないようになってるんです。思い切って芝居しちゃったんです。そして非常に成功したんですよ。あれがわたしのひとつの転機になったのね。
(『 玉三郎対談 十二人の女流 』別冊・婦人画報 「玉三郎」 昭和52年11月発行より)
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