出版时间:1984-1 出版社:みすず書房 作者:狩野 直喜
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作者简介
東京帝国大学文科大学漢学科卒業。中国本土(清)に留学した際には、義和団事件に巻き込まれ服部宇之吉とともに北京の日本公使館に籠城した。帰国後、1906年(明治39年)、新設されたばかりの京都帝国大学文科大学の教授に就任し、在任中フランスに留学、シノロジーの大家シャヴァンヌ・ペリオらと交遊し当時最先端の文献学的方法を吸収、またフランスに持ち帰られた敦煌文書(敦煌学)の閲覧研究も行った。
また先述の服部とともに、義和団事件賠償金で運営された日中共同の東方文化事業に関与し、東方文化学院京都研究所(現・人文科学研究所)初代所長に就任した。1925年(大正14年)、帝国学士院会員。1944年(昭和19年)には文化勲章受章。京都帝大教授として、青木正児・吉川幸次郎らの中国文学者・中国学者を指導育成し、また旧熊本藩細川家当主となった細川護貞も(元藩儒の流れとして)仕え教えた。
司馬遼太郎「この国のかたち」や「春灯雑話」によれば、学生時の細川護貞を教えるときでも漢文の解釈に一々出典をあげさせた。また朱子学を嫌い、考証学や徂徠学を尊んだ。後年臨終の床で、細川より「なぜ日本がこのような馬鹿な負け方をしたのでしょう」と問われ、(朱子学が基にある)「水戸学のせいだ」と答えるほどであったという。
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