ふぉん·しいほるとの娘

出版时间:2006年  出版社:新潮社  作者:吉村昭  
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内容概要

物語は1823年に長崎港への異国船の出入りを監視する野母の遠見番所が、3本マストのオランダ船を発見するところから始る。そのオランダ船に出島のオランダ商館付き医官として乗っていたのが、若き日のフランツ・フォン・シーボルトである。オランダ船で来日したものの、シーボルトは南ドイツで生まれたドイツ人であった。オランダ政府から日本の国情について調査を依頼されていたのだ。いわばスパイである。シーボルトは鳴滝の地に蘭方医の塾、鳴滝塾を開く。そして、出島に通う丸山町引田屋(現在の花月)の遊女其扇(お滝)を愛し、女児お稲(楠本伊篤)を授かる。シーボルトが日本で発見した新種の紫陽花にお滝の呼び「オタクサ」と命名したのは有名な話である。
しかし、シーボルトは伊能忠敬が作製した禁制の日本地図をはじめとする多数の資料を国外に持ち出そうとしたのが発覚し、世にいう「シーボルト事件」によって国外追放処分となってしまう。
「シーボルト記念館」は、かつてシーボルトが鳴滝塾を開いた鳴滝にある。当時は、長崎の街の北限の地であったといわれるが、現在では市街地となっている。これより先は峠越えの道となり「蛍茶屋」と呼ばれるとおり、かつては鳴滝川の渓流には蛍が舞っていた景勝地であったそうだ。シーボルト記念館に隣接する公園が鳴滝塾の跡地であり、シーボルトの胸像が建てられている。
物語はその後、シーボルトの娘であるお稲が医者を目指すために、全国各地に散らばったシーボルトの門弟たちに弟子入りして教えを受ける場面へと進んでいく。しかし、お稲は混血児の美貌から、シーボルトの門弟であった石井宗謙に犯されて身ごもり、女児のタダ(高子)を分娩するのだ。
シーボルトの娘お稲は、以前紹介した白石一郎の『天翔ける女』のお慶、新田次郎の『長崎のハナノフ』のお栄と共に長崎三大女傑の一人として数えられている。
シーボルトの名は、JRの特急列車や長崎県立大学、商店街などの名称に使われるほど一般に浸透している。しかし、その娘お稲は女性医者として数々の功績を残しながらも、世間的にはあまり知られていない。その名前を残すのは、東京女子医大に胸像があるほか、長崎では寺町の背後の斜面に広がる墓地のなかに顕彰碑が建てられている。幣振坂と呼ばれる急な階段状の道を、坂本龍馬像のある風頭公園に向かって登っていくと左手に楠本家代々の墓があり、そこにお稲も眠っている。そのすぐ近くにシーボルトの業績を称える説明文があり、シーボルトの門下生である二宮敬介、母親のお滝との連名で顕彰碑が建てられている。
物語を取り巻く時代は激動し、日本の対外政策は鎖国から開国へと徐々に転換していった。それに伴い、30年ぶりにシーボルトは再来日する。ちょうど、司馬遼太郎の『胡蝶の夢』に記されているポンペが長崎に滞在した頃である。30年ぶりに長崎にやって来たシーボルトに対し、お滝の心は冷え切ってしまっていた。63歳で再来日したシーボルトは、召使いのしおと関係を結び、身籠もらせてしまっていたのだ。
物語のラストは、お稲が生涯を閉じるシーンで終わっている。お稲(伊篤)の心の中に最後に残ったのは、父シーボルトが塾を開き、自らが育った鳴滝の地であり、そこで母のお滝が口ずさんだ子守歌であった。
「ランプの灯のもとで薄くひらいた伊篤の眼には、子守歌を口ずさむ折にみせた幼女のような光が、かすかにうかんでいた」
お稲の最期が史実に則って書かれているのか、吉村昭の脚色によるものなのかは判別できない。しかし、事実であれ創作であれ、このラストが読者に感動を与えることに間違いはない。
シーボルトの功績は、日本に近代医学を広めたという点ばかりが強調される。たしかに、当時の日本の医学は漢方を主体とする中国からの文化が席巻していた。それをシーボルトという一人の外国人の知識により、医学を初めとする新しい文化をこの国が吸収することができたのは大きい。
しかし、シーボルトの功績を別の角度から見れば、日本の文化を広く世界に紹介したことがあげられる。「シーボルト事件」で国外追放処分を受けた後、シーボルトは自ら蓄えた日本の情報と弟子たちからの論文を『ニッポン』、『日本植物誌』、『日本動物誌』として纏め上げて世界各国に紹介した。シーボルトが収集した日本のコレクションは、現在もオランダのライディン博物館に収蔵され、日蘭交流に一役買っている。
西暦2000年は日欄交流400周年の年であった。各地で華やかなイベントが行われたが、ここにも一つの影が存在した。オランダ国立戦争資料館が「日欄戦争展」を長崎市の原爆資料館で開催したいと提案したが、長崎市長は「原爆資料館は原爆以外の展示ができない」という理由で断ったのだ。オランダは17世紀から第2次世界大戦までインドネシアを占領していた。それを日本が征服し、8万人を超えるオランダ人を戦争捕虜にしたという歴史的な経緯がある。現在でも日本はオランダ、インドネシアと事実上正式な和解をしていない状況にあるといえる。こうして長崎市長が「日欄戦争展」の開催を断ったという事実は、後日マスコミと市議会で糾弾された。
華やかな日欄交流400周年ではシーボルトの功績も再認識された。しかし、そういった華やかな舞台裏には、被爆都市長崎が戦争加害者としての、この国の影の部分を隠そうとした事実が存確かに存在していたのだ。

作者简介

日本の作家。1927年(昭和2年)東京に生まれる。
開成高校を経て、学習院大学文政学部に入学。同校在学中より作家を志し、1966年に筆名、北原昭で書いた『星への旅』で太宰治賞を受賞した。
1973年『戦艦武蔵』などで菊池寛賞を受賞。1979年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞受賞。1997年日本芸術院会員。
綿密な取材に基づく詳細な記録文学・歴史文学で高く評価される。代表作は他に『関東大震災』『破獄』『天狗争乱』など。妻は作家の津村節子。
短編「闇にひらめく」は「うなぎ」(今村昌平監督)として映画化され、1997年カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した。

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