出版社:集英社文庫
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内容概要
山田かまち(やまだ かまち)
昭和35年群馬県高崎市生まれ。
幼少時より、人並み外れた観察力と表現力で感性豊かな水彩画やデッサンを描く。
また中学生頃からは、揺れ動く心の叫びを詩を通して表現する。
社会の枠組みへの反発、祖母の死、高校受験の失敗・・・
生きていることの実感、喜びや哀しみ、怒りや不安など、心のポケットから溢れる様々な思いが、詩になり絵になる。
高校1年の夏、エレキギター練習中に感電死。享年17歳。
かまちの残した膨大な作文や絵、詩を後世に伝えるため、1992年「山田かまち水彩デッサン美術館」が高崎市内に開設される。
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かまちは「何かを表現する」という行為に関して、神童であり天才でした。
そしてあまりにも早熟で、わずか17年間の人生を奇跡のように駆け抜けました。
かまちの残した膨大な作品に触れるとき、僕は10代の頃の自分の感受性を取り戻します。
かまちと共に悩み、苦しみ、喜び、哀しみ、怒り・・・心の奥底に封じ込めたはずの若い心の叫びが、目の前にありありと甦ります。
それは、彼の絵や詩が死後30年近く経った今でも一切風化せず、またその若々しい思想の芽が微塵も失われていないためです。
かまちの絵や詩は決して完成された芸術作品ではありません。
若々しく荒々しい激情がストレートに表された、非常に原始的ともいえる作品ばかりです。
しかしだからこそ、彼の作品は真っ直ぐに我々の心に飛び込み、我々の心をかき乱し、失いかけている「純粋」を思い出させてくれるのです。
本物の芸術家とは、かまちのような人のことなのかもしれません。
ただ、残念ながら今かまちの作品を観ることのできる機会は非常に少ないと思います。
恐らくここで紹介する本も増刷されることはないでしょう。
そして山田かまちという若き天才がいたことは、我々の心の中から次第に忘れ去られていくのかもしれません。
大人が若かった頃の感受性を失っていくように・・・。
芸術に触れることの喜びや大切さを忘れないためにも、僕はずっとかまちの作品を胸に抱いて生きていきたいと思います。
昔の自分自身を忘れないためにも。
この本は大切な宝物です。
图书封面
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