出版时间:2007-10-19 出版社:岩波書店 作者:網野善彦
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作者简介
山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市)に生まれる。網野家は江戸時代から続く地主で、末男。曾祖父の網野善右衛門は山梨中央銀行の前身のひとつである網野銀行の創業者であり、実父は塩山の旧家広瀬家の次男として生まれ網野家へ養子に入る。なお、網野の叔父には右派政治家の広瀬久忠や、同じく右派で戦後は中銀頭取として県政にも影響を持った名取忠彦がおり、網野の幼少期には右派的政治環境にあったことが指摘されている[1]。
幼少期に東京市麻布区桜田町(東京都港区西麻布)へ移住。白金小学校卒業後、1940年(昭和15年)、旧制東京高等学校尋常科入学。このころの友人に氏家齊一郎や城塚登がいる。
旧制東京高等学校高等科文科卒業後、1947年(昭和22年)、東京大学文学部国史学科入学。このころ日本共産党に入党し、山村工作隊の指揮や階級闘争による国民的歴史学運動に携わる。民主主義学生同盟副委員長兼組織部長となったが、のち運動から脱落する。
1950年(昭和25年)3月に東京大学文学部国史学科を卒業。同年4月から澁澤敬三が主宰する財団法人日本常民文化研究所の月島分室に勤務した。1954年(昭和29年)に水産庁からの予算打ち切りが決まると同研究所を辞し、翌年4月から永原慶二の世話で東京都立北園高等学校の非常勤講師(日本史)として勤務。同年5月には日本常民文化研究所の同僚だった中沢真知子と結婚する[2]。エンゲージリングが買えないほど貧しかったため、代わりにカーテンリングを贈ったという。
1956年(昭和31年)6月、正式な教諭となり、日本史の授業以外にも社会科学研究会や部落解放研究会などの顧問を務める。同校では部落解放研究会顧問を務める傍ら、東京大学史料編纂所に通って古文書を筆写、1966年に『中世荘園の様相』を著す。
1967年(昭和42年)1月に同校を退職し、同年2月に名古屋大学文学部助教授に就任し、名古屋に転居。1973年(昭和48年)には中世史研究会発足に参加している。
1978年(昭和53年)に『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』が学術書としては異例のヒットを記録。
1979年(昭和54年)、神奈川大学が日本常民文化研究所を招致することが決まり、名古屋大学を辞任し、1980年(昭和55年)10月に神奈川大学短期大学部教授に就任。1993年(平成5年)4月に神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科を開設し、1995年から同大学経済学部特任教授となり、1998年(平成10年)3月に定年退職。
2000年(平成12年)2月に宮田登の葬儀委員長を務めるが、その翌月に自身が肺癌だと分かり闘病生活に入る。
2004年(平成16年)、東京都内の病院にて死去。享年76。遺骸は本人の遺志によって献体された。死去時には、ルモンド誌にも記事が掲載された。
书籍目录
1 増補 無縁・公界・楽(無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和)
2 「無縁」論の構想(日本中世の自由について
中世における「無縁」の意義
若狭の駆込み寺―万徳寺の寺法をめぐって
「公界」と公界寺
歴史と自然・河海の役割―『そしえて21』の発刊によせて)
3 宗教と経済(貨幣と資本
境界に生きる人びと―聖別から賎視へ
中世の商業と金融―「資本主義」の源流
真宗の社会的基盤をめぐって―宗教と経済の関係について
宗教と経済活動の関係)
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